「嘘も方便」≒「目的が手段を正当化する」のような気がする

” The end justifies the means(目的が手段を正当化する) ” の日本語訳が、がなんで「嘘も方便」になるのか、わからん。「結果オーライ」であれば、まだわかるけれど。

以前関わった、発達障害のある施設育ちの女性の利用者が、よく「嘘をつく」と煙たがられていた。性的虐待の被害者であったためか、解離性同一性障害の症状をしばしば目撃したが、私は、彼女は根は悪い人ではなかろうと直感していた。この人のつく嘘は、自分の欲求と、周囲への気配りがないまぜになったとも思える嘘だと、私は感じたからである。

更に嘘というより、壊れて失った、新たな自分を創造しているカンジ、に私には思えた。だから、彼女の虚言と思われる発言を、私は嘘とは捉えなかった。そうしたことが正しいのか、間違っていたのかは知らん。

自分の身に起こったことを、正直に語れば「言ってはいけない」と周りから諭され、それで黙れば、ありのままの自分を受け入れてもらえる機会を失くし、受けれてもらえそうな嘘を捏ねくりまわし、そしてそれを言えば「嘘つき」の汚名を着せられる。
支援する側も、彼女の身に起こった出来事を、彼女そのものを受け止め難い、その心情も察するが、一体、「正直な彼女」はどうあればよかったか。しかしどの道、彼女の社会参画には全人的で気の長いサポートが必要には違いない。

それはともかく。
” The end justifies the means(目的が手段を正当化する) ” の日本語訳が、何故「嘘も方便」なのか、何か意味の異なる、全く違うもののような気がするけれど、外国語のニュアンスは図りかねる。
ちなみに、Google翻訳で「嘘も方便」を翻訳すると、” Lie also expedient ” と出た。これならまだ私にもわかる。

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