テロリストとは誰か

「テロと戦う」って、私にとって一体テロリストとは誰のことなのか、この三日間考えさせられた。

イスラム国の件は、実際、何が本当かよくわからない中で、ニュースを眺めていた。
本音を言うと、私にとってのテロリストは、イスラム国でもないような気がしていた。
あっちは私のことを知らない。私もあっちのことを知らない。何の利害関係も無い。なら、テロであるはずがない。

日本では、消費税の恩恵を、武器だの兵器だのの軍事産業の会社が受けていて、そこと関わりの無い私には、その恩恵が回ってきていない。トリクルダウンとは、一体何であろうか。

家にはエアコンが無いので、ダイキンも私とは縁が無い。
日本にはトヨタや三菱の車を愛している人がいるが、私は車の運転をしないチャリダーなので、どちらかというと、車が横柄に振る舞う日本の車社会に、ひどく迷惑している。

人殺しに「人殺し!」と叫んでも、あまり意味がない。
三井、住友にも「人殺し!」と叫んでも、あまり意味がないのである。

「テロと戦う」と言ったのは、この国の看板を背負った人たちであることは知っている。その人たちがそう言うから、「テロと戦う」と言っている人たちもいるのはわかる。
また、ISISが「イスラム国」と表記され、それが何故かイスラム教徒全体をテロリストだと思い込んでしまっているような人も、この国には少なからずいることも知っている。

アメリカが「テロと戦う」と言ったのも、フランスで「テロと戦う」と言ってデモをしている人たちのニュースも、一応見たから知っている。

人生は闘いだと思う。「闘魂」は真理だと思う。ただ生きる、それだけで、闘いだと思う。その闘いにこそ、自分のエネルギーのすべてを投入すべきである。誰もが。
尊い命を粗末にするだけの戦争は、その人生の闘いの時間もエネルギーも奪い、生きる妨げになるから、無益でしかないと思う。
私は、無益な戦争のためには死ねないが、自分の人生の闘い、健康と平和のためなら死ねる者だと思う。尊い命を粗末にするだけの戦争は要らないと思う。

尊い命。それも、それが何か知ろうとする人でない限り、わからないだろう。 だから「尊い命」なんて言葉を、滅多矢鱈に乱発しても、知る気の無い人を逆上させるだけである。
「尊い命」ということ、その言葉自体が、ある種の人々を責める道具だと思う。
その、ある種の人々こそが、私にとってのテロリストではあるのだが。
尊い命を粗末にするだけの戦争の助長に、調子に乗って、あるいは「仕方がない」と言って加担するのも、テロリストである。

テロリストは日本にも吐いて捨てるほどいる。
もしも、日本にもいるテロリストども全員を、私が殺してまわっていたら、きりがない。
元より、私は十戒を守って生活しているので、殺しはしない。盗みもしない。金と異性にだらしがないのも、信用に値しないという点からして、テロリストである。
私は無宗教の日本人だが、その凄い点は、無宗教なのに信仰を保てる点かもしれない。

しかし、信仰を持たない日本人も大勢いて、そういった人らが、自分の悪業に応じた功徳を積まねば自由になり得ないことを知らずに、悪業しか積まない。
それを思うと確かに、信仰を持たない者はテロリストといえるだろう。
テロリストは気の毒といえば、気の毒な人らかもしれない。

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