床屋政談



本屋で『崖っぷち国家 日本の決断』を購入してから床屋に寄り、散髪の順番を待っていた矢先。けっこう順番待ちをしているようなので、今買ったばかりの本を読んで、時間を潰そうと、ページを開いた。

すると、先に並んでいた隣の女性が、私の手の本を覗き込んで、「それは孫崎さんの本ですか?」と訊くので、私は「ええ、そうです、ニューヨーク・タイムスの日本支局長との対談本です」。
と、そこからその女性と、話がはずんだ。

「私は副島隆彦の本とかをよく読むんですよ」と、彼女は言う。「あヽジャパン・ハンドラーとかね」と私。
「副島先生の医療本は読まれました?」「いや、医療系の情報は、私はそっちからじゃないですね」「内海聡先生とか」「あ、『医学不要論』ね。私、あんなマトモな精神科医がいるとは思いませんでした」…

その方は五十代で、ずっと専業主婦をしており、外に出るといってもちょっとしたパート労働しかしていない、いかにも家父長的な日本の枠の中で、何かしっくりとこないもやもやを抱えて過ごしてきた「お母さん」であった。
お子さんのアトピーで悩まれて、答えを模索しているうちに、こういった情報にも触れるようになったという。

若い息子さんと経済や世界情勢の話をしていると、更に多くの情報を取り入れることに貪欲な息子さんには「お母さんは…」とナメられるとかで、どうしてもそういう話は、息子さん的には「お父さんにしよう」ということになってしまうのだそうな。お父さんの方はというと、世間知らずのお母さんよりも、論理的に話をすすめる技に長けているのだろう。よくありそうな家庭のはなしだ。

そもそも、「主婦」は社会人ではない。(
言葉を持たない「主婦」。この問題の深さを、私は目の当たりにした感である。
それでも、抱えているもやもやがもやもやであり続ける限り、何らかの回答を得ようと、たとえ闇雲にでも手を伸ばし行動を起こすのは、「主婦」であれ、人間の性(さが)かと思う。私自身もそうだった。

そうして、彼女の散髪の順番がまわってきて、文字どおりの床屋政談を切り上げる時に、私は言った。
「偶々とはいえ、同じようなことを感じている人に出会えて、ホッとしました」

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