『死を笑う うさぎとまさると生と死と』



これは三寒四温と呼べるのだろうか。
春一番が吹いたらしいが、雪が舞うほど寒い日があり、強烈な冷たい向かい風の中「死ぬ」と思いながら、どうにか帰宅して、電気ストーブの前に猫のように座って暖をとった。

ただヽヽ゛暖かくて、何も考えられなかった。

その時、私は悟った。

大昔、焚き火で暖をとりながら、人々はただひたすら「あったかい」を満喫したに違いない。
頭の中には、「火、あったかい…」、ただそれだけ、それを味わっている状態。そして次に思いついたのは、「火、すげー」「やっぱ火、神だろ」。…

拝火教(ゾロアスター教)は、やはり根源的で絶対的なものを内包しているに違いない。

何のために人間は存在しているのか。
それは、不浄な肉体を脱ぎ去って死を通過することで得られる浄化のため、とゾロアスター教前期ズルヴァーン主義では説いているらしい。アマチュア宗教ソムリエを自称する私の個人的な死生観の根本は、これと同じものである。

なぜこのような思想が誕生したのだろう。
私の考えでは、大昔、火を見て色んな人々が色々な考えを紡いだけれど、結果、思想として最も「美しい」ものが「確かなもの」として残ったのではないか、と。

さて。
うちのダンナは中村うさぎさんのすこぶるファンである。
中村うさぎと佐藤優が、真面目に死について語り合った『死を笑う うさぎとまさると生と死と』を読んだ。
実は先月、うちのダンナのお母さんが彼岸へ旅立った。
本の内容は、時期的にタイムリーで、中身は濃い深い軽い、死の哲学。
私などよりも更に濃い泥沼の中に棲み、そこを生き抜く強かさを持った二人の対談本である。やはり、一般人の考えを更に突き抜けている。

「人の心に氷点はあるだろうか」って…そんなもの、おまえの心にしかないだろうってね。

佐藤優が曽野綾子の『氷点』をそう断じていたのに、笑った。
『氷点』のあらすじを垣間見ると、私が最後まで読み切るのは無理そうだ。

最近私は、私の考えをはるかに凌ぐ、とんでもないところを生きている人や、とんでもない考えをしている人を、いかに理解すべきなのか、思い戸惑うことが多かったのだが、この対談で二人は、そういった自分の理解を超える人々を気持ちよく両断している。

「あの人(曽野綾子)は、机代わりのみかん箱を前に、あんな陰険なことばかり考えていたんです」と。

また、安倍総理の集団的自衛権の話を「ポエム」と断じられたら、「あヽポエムだったのか」と、こちらはもう開眼せざるを得ない。

こういった、袋小路でヘンに煮詰り過ぎないコツと勘どころのようなものを、私も体得したいものである。



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