失ってはじめて気づく存在

直に、ダンナのお母さんの四十九日、ちょうど彼岸の時期である。
訃報が届いた当初、ダンナは失ってはじめて、お母さんの存在の大きさに気づいたようで、

「何もしてやれなかった」
「葬式にも行けない」

と、傍で見ていて「これはヤバい」と思うほどの衝撃の受け様だった。

お母さんは迷わずサクッと彼岸に渡られるだろうが、しかしダンナがあれだ。
ダンナのために四十九日までの、即席の仏壇をこしらえ、お線香をあげられるようにした。そうすると、ダンナの気持ちも何とか落ち着いたようだ。

「オカンに何もしてやれなかった」が、時間の経過の中で、あれこれお母さんにしてやったことをひとつひとつ思い出して、「まぁ、オカンにも色々してやったからな」にダンナの中で脳内変換されていった。
ただ多分ダンナは、オカンにしてもらった以上のことを、返すことはできないと思う。

もうじき四十九日になる今も、ダンナはことあるごとに「オカン」と言って、即席の仏壇に手を合わせている。

そして昨日ダンナは、「オカンがオレに”オヤジを許してやれ”って言っているような気がする」と言った。
「ような気がする」とは、確実に、お母さんがダンナにそう語りかけているのである。

ダンナが思い出すお母さんの話は「THE 昭和」な、切ない話が多い。
クソ親父、我慢するしかないオカン。

「オカンが家の裏で泣いてる姿って、子ども心に辛いもんだぜ」

それを思うと、昨今、男女共同参画は間違いなく進展した。

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