ダンナを大切にするとは、いかにすべきか

「自分探し」とよくいうが、「自分探し」とは要するに、自分の身の丈を知ろうとすることだともいえる。

お金が欲しくて結婚生活を「辛抱」できる人ほどに、私は辛抱強くない。
それが自分でわかるということは、私は自分の身の丈を知っているということかもしれない。

私はちょっと欲望が希薄かもしれない。
いや、元は人並みかそれ以上の欲望を備える資質はあるのかもしれないが、親に「何をやっても何ひとつ満足にできない」と言われ続けて育ったせいか、かなり早い時期から欲望より諦観が勝っていたような気がする。
望む前に諦めると楽。だから、私は、ちょっとしたセルフネグレクト優位なカンジの人かもしれない。

特に金銭の欲望に関して、私は身の丈以上を望まないよう、厳しく躾けられた。
それで、身の丈以上を望めなくなったのか、あるいはそのために、金銭の欲望と引き換えに手に入れた自由に価値を置いたかもしれない。それは、他人様に向かって「ハナクソついてるで」と言えてしまうような自由である。

そもそもこの世の中のシステムでは、他人に「ハナクソついてるで」と面と向かっていきなり指摘するような人間に、金は回ってこない。
他人様の顔面にはりついたハナクソを、気持ち悪いなと思いつつも、「ハナクソ?いえ、気がつきませんでした」としらばっくれることができる人間でなければ、優秀とは言えず、金儲けは到底できないものである。

ちなみに、金儲けのアイデアだけなら私にもあるのだが、金儲けのシステムを構築するためには投資が必要だ。その投資のために汗をかくことが必要だ。しかし、私は「ハナクソ?いえ、気がつきませんでした」としらばっくれることができる人間ではないのである。これが最大のリスクだと思う。

欲望が希薄なために金に困るということがなく、いざとなれば死ねばいいような、この私のような者が、ムダに労力を使ってリスクを背負うよりも、リスク回避に向かうのは、痒ければ掻くの如くに自然なことに違いない。

ところで私は、お金が欲しくて結婚生活を「辛抱」できる人ほどに、辛抱強くない。
やはり私は、ダンナを愛しているから、この生活をしている。
真剣に、「ダンナを大切にするとは、いかにすべきか」を考えてみた。…

結局、あれこれ手を焼き過ぎて甘やかすのもよくないし、まったく関心を払わないのもよくない。今のまま、歳を重ねていけば、特に何を間違っているということも無いのだろう、というところに落ち着いた。

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