人生何があるかわからんものだ

この地にやってきて、早一年になろうとしている。
ゆくゆくは自給自足の暮らしを目論んで、踏みだしの一歩として、どうにか運よく、低空飛行ながらも生活は安定してきた矢先。

ダンナが転職を考えはじめた。
今の職場の給料、待遇のままでは、自給自足の暮らしには手が届かないと。その時、「人生なんてギャンブルみたいなもの」「失敗したらダメだなんて誰が決めたんだ」と、闇雲に転職に向かおうとする言動に、私は「ちょっと待て」と言いたかったが、ダンナは聞く耳を持たなかった。

「人生なんてギャンブルみたいなもの」「失敗したらダメだなんて誰が決めたんだ」は、少なくとも私には、「確実に失敗するからね」に遠からず近からずの言動である。そういった衝動的な選択で道を誤った前例は、腐るほどある。コケた時にどっちに手をつくかまで考えておかないと、確実にコケる。その上現在、自給自足の暮らしに向かう綿密で確かな「情報を掴むために動く」こと、今はこちらの方が足りていない。焦って早合点して、タイミングを誤ったら、取り返しのつかない事態だって想定し得る。

想定し得るが、つまるところ、他の意思への「介入」の罪深さを知る私は、最終的にはダンナの意思を尊重する以外の手立てはない。たとえそれが無茶苦茶に思えるものであったとしても、着地点はそれ以外に無いのである。

まず待て、落ち着け、自分の頭の中だけで答えを出すな、外部に動いて情報を仕入れて、手応えを感じる中で精査して判断するのに、急ぐな、慌てて答えを出そうとするな。…

そうダンナに指摘するも、ヒートアップして聞く耳を持てないダンナには、届くはずもない。しまいには、ありもせぬ私への罵詈雑言に変わり、「オレが嫌なら別のオトコを探せ」となってくる。私としては、まるで三島由紀夫のいう「グロテスクな変容」()を目の当たりにする心境である。ダンナ自身があれほど嫌っていた自分のオヤジと、全く同じ姿なのである。ダンナは移ろい、忌み嫌う「オヤジ」へとメタモルフォーゼしている途上なのだろうか。そんなことは想定外である。

かつてクソアホバカオナニー社長のブラック企業に雇われたダンナと、二年間離ればなれで暮らさなければならなかった時も、「もう一緒に暮らせなくなるかも」と覚悟を決めて、ダンナが親の介護で実家に戻り、別々に暮らさざるを得なかった二年間の後も、「もう一度一緒に暮らそう」と言ったのは、ダンナの方である。
それを今更「オレが嫌なら別のオトコを探せ」とは、寝言か詐欺かと。
おまえのコトバを信じて待っていた私は何やねん、と。

ところで、私の周りを見渡すと、シングルが多く、離婚率が異常に高い。
そして話を伺うと、他人の人生、他人の生き様は、私には本当に理解不能に思われる。

私は「不貞以外の理由での離婚はあり得ない」という前提で動いているが、他人の話を聞いているうちに、私の中の絶対的なこの前提が相対化していくのだった。

人生、何があるかわからんものだ。

ダンナがいなくなったら、これまでの積み上げは水の泡。私はどうやって生計を立てよう。ダンナが聞く耳を持たない以上、話してもムダなので、私は早々と自室に引き篭もり、眠ってしまうことにした。


そうして朝起きたら、元のダンナに戻っていた。
まるで、何事も無かったかのようだ。
眠っている間に私は、パラレルワールドの、もうひとつの世界に移ったのかもしれない。

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