勝負出ろ

四国に移住して一年になろうとしている。
時給が上がることは無いだろうし、笑いが止まらんくらい貧乏なのだが、ギザギザの10円玉とか二千円札とか漱石の千円札とかチベットの古銭とか、そういった系の使わない銭は持っている。「金持ちになりたければ諭吉を崩すな」とかいうが、私は諭吉が嫌いなので諭吉が手元にきたら、即一葉に崩す。

三年ぐらいお釣りで出る50円玉を集めて5万円ほどになった。50円玉の材質を見ると、500円玉に比べて価値が変わらなさそうだったから、いつ円の価値が無くなってもいいようにと50円玉を集めた。(
そろそろこの端金を種銭に何か、とは思うけれど、株は日足を追うのが面倒臭い。投資信託にという額でもない。多分、値下がりしても地金を買う方がわかりやすくて、自分には向いていると思うけれど、購入しても換金する時に正規店が私の住む界隈にない。あの「金プラ買い」とか看板出しているチンピラ臭い店、死ねよと思う。

私は不安定就労で、年収130万円になるかならないか、活躍している割に生活保護の金額にも満たないので、とっととベーシックインカムなり給付付き税額控除なりをはじめてほしいと思うが、不幸や貧乏に慣れているし、死ぬこともさほど怖くないのが幸いなのか何なのか、精神的には安定している。

方やダンナは、ここへきて現在の高卒の初任給のような給料が、どうも堪えるらしい。これが性差というやつか、「社会的に認められない」「正当に評価されない」ということが、男性にとってこれほどの重圧だとは、正直、私には思いも寄らないことであった。それとも、「社会的に認められない」「正当に評価されない」状況の受け止め方が、個々に異なるということなのだろうか。

「男だから」「女だから」とは言いづらい風潮が昨今あるが、しかし、これまで「男として」生きてきた四十代半ばも過ぎたダンナの現在の試練を語るには、「男だから」ということ抜きでは語りきれない。

女目線で、マトモな男の多くはビビりで小心者である。私のダンナもビビりで小心者である。しかしそれがために、石橋を叩いて渡らないような慎重さが取り柄であった。ビビりで小心者であれば、大きな賭けに打って出るよりも、真面目に堅実に積み重ねる方が、人生の安全圏を守り抜きやすい。
ところが「男だから」、ビビりで小心者であるということは「恥」なのである。この、ビビりで小心者の己自身を固め伏せる「勝負」に出たい欲求と格闘する、いや、格闘せねばならない時が、男には訪れるのかもしれない。

リスクが怖いために、これまで株式投資なぞに手を出せなかったダンナだが、どうしてもやりたい、やらなきゃ後悔する、と言い出した。株をやるのはいいけれど、巷の情報に振り回されて得々とするだけで、大丈夫だろうか…、という杞憂が、何気に私の口を突いて出てしまったばかりに、またケンカになり、ダンナに「愛がない」「思いやりがない」「嫌なら出ていけ」「死ね」などと罵詈雑言を浴びせられた。
やはり私は、踏んではいけない導火線がどれだか、今だにわからない。

ダンナは焦っている。焦ると、人は頽廃するのだと思う。ダンナと酷くケンカをする時は、いつもそこに頽廃がある。余程の人でない限り、貧すれば鈍するのは確かだ。
しかし、焦って一か八かの勝負に出るのも、ひとつの業を消滅させる手段と思えば、勝負に出るのを止める気はない。悩ましいのは、ダンナが勝手に「お前はオレをバカにしている」と思い込んで、私を誤解していることである。私は一度もバカにしたことなどないのに、なぜバカにされているという歪んだ妄想を自ら生んで、自ら騙されてしまうのだろう。

何故か昔から、私は人を小バカにしているように見られがちである。私が本当にバカにする人というのは、限られているというのに。特に勝つ気が無いのに「勝っちゃった」みたいなところが、勝気な人を苛立たせるのかもしれない。だから憎まれないように、負けっぷりの好さも忘れていないつもりなのだが。

まぁ、私は別に死んでもいいけれど、そうして「嫌なら出ていけ」と言われて、例えば実際、私が家を出てひとりで暮らしはじめたとすると、「女だから」、モロに賃金格差ゆえに、今よりさらに生活に困窮するだろう。いや、本当に、面倒臭いロクでもないところに生まれてきてしまった。



金無いといっても、サザンの最新アルバムを購入する程度の金は、真面目に働いているから、今のところある。


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