『繕い断つ人』を観た



縫製工の夢見る美しい暮らしの映画。「こんなのブルジョアじゃないと無理」と言わしめる作品。

出会った頃の私は、ケイゾクの中谷美紀に似ていた、とダンナは言う。今は劣化して、誰も気に留めないオバンになったものの、中谷美紀と聞くと、「あヽこの私に似ているという女優さん」とか思ってしまうのである。その中谷美紀が主演で、仕立屋を演じるというので、一応半身で服のお直しを生業する私が、見ないというわけにはいかない。しかし、中谷美紀が演じる仕立屋・南市江は、本当に「服が好き」な人で、レディースのみならず、メンズの仕立てとお直しまでしてしまうハイレベルな人であった。職業訓練校で一年勉強しただけで、しかもそもそも「服が好き」ではじめたわけではない私とは、まったく格が違うのである。

私がこの道に片足を突っ込んだのは、服やらファッションやらが何か、よくわからなかったからである。よくわからないなりに、少しでも服の仕立てをかじってわかることが増えると、仕立屋・南市江の言っていることは本当によくわかるのである。わかるけれど、やはり物語の原作はマンガで、主人公は少女マンガの主人公である。モノの価値がわかる下流ではない、どちらかといえばアッパーランクの客層に丁寧に寄り添う、形振り構わぬ無我夢中の生き様、ではない。だからこそこの作品は、「繕い断つ」を生業する憧れ、イメージターゲットとしての価値があるのかもしれない。

ちなみにもう六年も経ったが、私が、何を思って職業訓練校に向かったか、何を思って縫製の技術をば身につけんとしたか、過去のブログにしたためてあったので、引用する。

ものをつくる行為は「過程」を大切にすることが目に見えて分かりやすい。この「もの」が一体どうやってできるのか、丁寧に道筋を辿ることができるから、「目的」も「結果」も手に入れることができる。
日本国内の製造業が廃れるということは、日本人の手自体が「過程」を捨て去っていこうということなのかもしれない。
それが恐ろしいので、私はミシンで何かを作る夢を自分の命に変えた。馬鹿げているそれをやって、食べていけないならば、餓えて死ねばいい。そう思っている。(

※詳細過去ブログ
うららのうらschooldays(2010年4月〜2011年3月)
いつかのスクールデイズ(2009年8月2日)

コメント