「中坊公平まつり」開催中



今私は、ちょっとした「中坊公平まつり」状態である。
続いて読んだのは『罪なくして罰せず』。
中坊氏は、森永ヒ素ミルク事件の被害者宅を訪問して回った中で、17歳で亡くなった男の子の母親に、この17年間でいちばん悲しかったこと、嫌なことは何だったかと尋ねた。するとその母親はまなざしを膝の上に落として、言った。

「…先生、あの子は生涯、『おかあ』と『まんま』と『あほう』の三つの言葉しか言えませんでした。『おかあ』と『まんま』は、知能の遅れているあの子がなんとか生きていくためにと思って、私が必死で教え込みました。けれど、『あほう』という言葉は、私は一度も口にしたことがない。世間の人たちがあの子にそんなひどい言葉を何度も何度も投げつけたんです。私は、そういう世間が憎い。憎くて憎くて、たまりません…」

母親はぶるぶると震える手をゆっくりと持ち上げて、顔を覆った。私は身じろぎもせずに母親の嗚咽を聞きながら、自分は世の中のことを全然知らなかったのだと、気づかされた。

…私も、世の中のことを全然知らなかった。
いや、ブログでも再三「私は今だに世の中のことがわからない」と思い悩んできている。



前に読んだ『中坊公平・私の事件簿』()は、年代順のオムニバスで書かれていたが、この本も、中坊氏が携わった事件を振り返りつつ、生い立ちまで振り返りつつ、後半は本が書かれた当時のバブル後の住専処理のことが主な内容だった。

後に失脚する以前に書かれており、失脚前後の経緯の詳細はわかりかねるが、なんとなく直感するに、つまり中坊氏って「消された」んじゃないのか、と私は憶測するのである。まぁ、老いには勝てなかった、というのもあったのかもしれない。

というのは、中坊氏は年代を追って、晩年にとうとう巨悪の本丸と対峙した感である。この巨悪の本丸は、今現在我々を戦争へ導かんとしているアレらと、正体は同じなんじゃないか、と。ネットで検索する限り、中坊氏を褒め称えるより、むしろ恨みつらみや、貶めるような文章の方が先に出てくる。

中坊氏は再三、自分が弱い人間であること、そして、弱さは強さでもあることを仰っておられる。後に中坊氏自身「一体何がマズかったか」と、考え抜いたに違いない。
中坊氏を世間から葬り去った、氏が晩年に対峙した巨悪は、人間味、人間臭さ、弱さは弱さでしかないこと、そこにつけ入ったのではなかろうか。だからもしかすると、中坊氏は晩節を汚した、とされるなら、マズかったのは中坊氏が「人間だったことがマズかった」と思う。

つまり、「ロボットならよかった」(笑)。それでなのか、今正に国は、電子政府の実現に向かっているらしい。

しかしやはり、さすがに優秀な弁護士である。
人権とは何か、中坊氏の説明はわかりやすかった。

人権とは、競争の原理や効率の理念によっても奪うことができないものだと私は考えている。だが同時に、人権というものをきちんと見分けるのは意外と難しい。
人権は少数者の権利として生まれてくることが多い。ところが少数者の主張にはエゴが多分に含まれていることがある。人権とエゴはどこが違うか。

エゴは、一見して少数者の権利のように見えても、結局は少数者の利益だけにとどまるものである。これに対して人権は、少数者の言うことが多数の者の権利にも共通している。人権とエゴは紛らわしいが、混同してはならない。

人権への認識が世界中に広まったのは、終戦から三年後の1948年12月10日、第3回国連総会で採択された「世界人権宣言」がきっかけである。

しかし、この宣言に効力を与える「市民的及び政治的権利に関する国際規約」がつくられたのは、それから十八年後、1966年12月16日の第21回国連総会だった。

そして、日本がこの規約を批准したのは、1979年9月21日だったから、人権が本当に人々の権利となるまでに実に三十年もの時間がかかったことになる。

今この国は、間違いなく少数派のエゴが跋扈している。

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