人生夢オチ

ある日、私は置き手紙をして、旅に出た。

ここまで生きてきた私は、命を惜しまない。命は捨てて得るものだということを、私は知っている。
「死ぬ」と言えば、誰かが引き止めてくれるんじゃないか、と期待する甘さをかなぐり捨てて、「死ぬ」を隠蔽し続けて、やがてこそっと、本当に死んでいるのである。
死んでいった人たちが、なぜ死んでいったのか、わかる気がする。


そうして船に乗り、漂白に身を任せて着いたところが、なぜか、離島で行われたとある大学のゼミの合宿であった。

それが、ひじょうに大人げない大学の先生が仕切るゼミの合宿であることなど、事前につゆほども知らされず、意識の高い学生と、そうでない学生が入り乱れた場に、立ち位置がわからぬまま放り込まれてしまった。
しかも私は、ひじょうにみじめな者である。ダンナに「バカで頭のおかしい声のデカい、いちばん最低の女」と罵倒されて家を飛び出したのである。涙は昔に枯れ果てていたが、心が限界までひしゃげていた矢先の、すこぶるアウェー感であった。

カンベンしてください。
ドロドロの人間模様に阿鼻叫喚。
この時代いつまで続いていくんだろう。

宿泊の部屋が学生と相部屋。幸い、ルームメイトは意識の高い方の子らで、最悪の事態は免れた。そして大人げない先生と対立しているもうひとりの先生が助け船を出してくれた。
二日目の夜、島の八幡宮の脇で、ゼミを手伝ってくれている島のオジさんと、たくさん話をした。島のことや夫婦喧嘩のことなど、あれこれと話して気が紛れ、慰められ、心が洗われていくのを感じていた。鉄工所を営む、素朴で働き者の、気のいい小さなオジさんであった。
古い謂れの中でも、八幡様は鍛冶屋の姿で登場する。鉄工所経営者に身をやつした、あのオジさんは、恐らく、島の神さんだったと思う。


まるで夢を見ているような傷心の旅ではあったが、帰宅して、ダンナと仲直りをした。
夫婦は鏡である。私が「バカで頭のおかしい声のデカい、いちばん最低の女」であれば、ダンナは何であろうか。
私はダンナの観音様である。それに向かってダンナは唾を吐き、汚したのである。

ダンナは、私が不在の間に置き手紙を読んで、しっかりと内省したようであった。

夜、庭のゴーヤのカーテンに、なすびがぶらさがっている夢を見た。
夢の中のなすびは、割ると中から輪ゴムやキーホルダーなんかが出てきた。
夢のなすびにインスパイアされて、翌日、夕飯のおかずは茄子の肉味噌炒めにした。

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