今年は最悪の年だった



自分の疾患についてのトレンドを押さえておくために、五年ほど前に出た本を手に取った。

とはいえ、かつて時代の狭間で、医師のやっつけ仕事の失敗例として、こじらせて手に負えないまま社会に放置された、私のような者には、何ら「回復」の手助けにすらならない情報だが、それはさて、自分の疾患を棚に上げて「常識」として知っておく情報としては、妥当なやつかと思う。
「すべて」ではなく、ほんの部分が書かれているだけだとは感じたが、今後新たに罹患する人やその家族などには、今回手に取ったこの本くらいの情報でいいのだろう。まぁ、もっといい情報もあるだろうけれども。

そして私は、これが「ふつう」や「常識」であるという前提で、人間の社会の中で、疾患を持つ自分自身を動かしていくのである。

実際の話、「統合失調症」という疾患名を名乗るならば、手がかからず、人の迷惑にならなければ、それで社会は納得するし、そうあることこそが社会における、統合失調症当事者の役立ちなのである。そうした「役に立つもの」に、この疾患の人を矯正することが、医師なりこの社会なりの役割だろうから、患者としてそれを理解し、医師なり社会に協力しておれば、世の「常識」に適うのである。それがたとえ世界の非常識であっても、日本にいる限りにおいては、それでいいのである。

そして言われるままに「お薬」さえ飲んでいれば、統合失調症当事者は、決して、幸せになる必要も、自由になる必要も、ましてや自分自身の人生を自分で生きる必要も無いのである。
それを「生きづらい社会」などと言うのは、精神を病んでいる証拠であるから、どれほど辛く苦しかろうが、「生きづらい社会」なんて、言っていてはならないし、まして死んだ方がマシだと、自殺なんてしてしまってはならないのである。

ちなみに私は、「ふつう」や「常識」を語る者に対して、決して自分の望みなど口にしない。

医師の目指すものと患者の目指すものが違うなら、医師と患者は出会うことがない。
私は医師や医療者には基本的に出会いたくない。
医師は狂気をダメにしてしまう。オノレを生ききるために、医師のゴタクは振り切らねばならない。

まぁしかし、世の中はクソだし、人間もクソだ。

それにしても、今年は最悪の年だった。

私は昨年の2月、ISないしダーイシュによる後藤さん殺害のニュースを、仕事の宿泊先のホテルのテレビで知った()。
しかし、問題のニュース以前の成り行きを、日頃からTwitterのTL上で眺めており、「 I am KENJI 」がキャンペーン化した時分に、ムーヴメントに違和感を感じていた。
人権、人道、反差別、反ヘイトスピーチを標榜する少なくない人たちの中に、後藤さんばかりを「助けて」と懇願し、湯川さんを軽んじるムードが漂っており、嫌なカンジがした。
「死なないで」と大勢に言わせることができる人と、「死ねよ」と大勢に言わせることができる人の違いとは、何なんだろうということ。食ってクソして寝るだけで、大した違いは無いのに、大きな違いがあるような錯覚に、大勢が陥っていた気がする。(

更に、先月放送されたNHKのETV特集。ナチスドイツによるホロコースト以前に実行された「役に立たない障害者」の大規模な安楽死「T4作戦」。その特集が組まれたというので、これは見逃してはならないと、(自宅にテレビが無いので)携帯のワンセグの小さな画面で、頑張って視聴したのだが、「 I am KENJI 」のときの嫌なカンジを思い出した。

「手のかかる障害者は殺されてもしかたがない」という、加害者寄りの心情の人の多さ。

私自身、「手のかかる障害者は殺されてもしかたがない」と思う部分がある。

ところが、私自身が障害者であり、「T4作戦」でもあればガス室に送られる立場である。

私にとって、これが「生きづらい社会」でなければ、何であろう。
どう考えても、世の中はクソではないか。
それでも、「生きづらい社会」などと言ってはいけないのである。

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