『魂も死ぬ』



上も下も、過去も未来も、重力も引力も、色も音も形も何もまったく無い空間で「何をしてもよい」ならば、何をするだろう。これこそが「自由な世界」だ。
何も無い世界で、何も無さに押し潰されて何もしない、というのもありだろうが、何も無い世界で何かをするならば、何かをするためのとっかかりが要る。このとっかかりが、外的な要因か内的な要因か、それはともかく。
このとっかかりから「何か」を興して、持続的に形にしていくにはルールが要る。
ルールは我が身を、何も無い「自由な世界」という牢獄から逃れさせ、身を守るための檻だったはずなのだが、やがてこのルールが、何故か下らない常識へと変貌したりする。自ら選択したルールで、「自由な世界」へ至る道を閉ざして、自らのルールで自らを檻へ囲い込む。

DIY精神で自ら造った檻に自ら入っていく自由こそ、人間にとって最強で最大の自由と思う。

「この地球と社会こそが魂の牢獄である」

名曲『世界はゲットーだ!(The World Is A Ghetto )』 を彷彿とさせるではないか。
さて。

『医学不要論』の内海聡医師による、「霊魂」についての本を紐解いた。昨年の12月、ほんの一ヶ月前に出た新刊である。「ニヒリストなんだけど、新興宗教の教祖の手口を丁寧に踏襲してみました」という、「冷やし中華はじめました」的なカンジの本である。スピリチュアル系の胡散臭さを、著者自身の多角的な独自の視点から論破している。

「神」や「あの世」や「霊魂」やなんかと親和性の高い人に向かって、それらを「幻想」だの「妄想」だので納得させられると思い込んでいる人も、相当いびつな観念に支配されている、と私には映る。彼らから「神」や「あの世」や「霊魂」を取り上げるのは、何の執念によって成せるワザなのかと思う。

ただのオカルトか宗教の本なら、私もわざわざ手に取らないのだが、ふと見ると「スウェーデン・ボルグ」の名が飛び込んできたので、「え、そんな誰も知らんし読まんようなもんを、このお医者さんは知っているのか」と、思わず手に取ってしまったのである。しかし、水木しげる先生亡き今思えば、水木しげる先生を経て、スウェーデン・ボルグも知る人ぞ知る存在になっているのか。

私はスピリチュアル系の人間なので、こういうお題目を見ると触発されて、ついつい色々と語りたくなってくるのだが、私の語りは誰に求められる語りでもないのがツラいところである。

そして私はキチガイ()でもあるので、霊魂の分野の専門用語を回避しながら、「ふつう」の人の暮らしを演じている。専門用語を覚えてしまうと、引っ掛かって袋小路に入り込むと自覚しているからである。だから、様々な文献に目を通して、専門用語も駆使しながら、ニヒリストとして魂を語ることができる著者の器用さ、というか頭の良さは、さすがお医者様。

それで、この著者の「虚無主義」はさておき、
私は無宗教で、あえていうとアミニズム信仰に近い人間なので…云々、そもそも今の人間のやっていることは汚すぎて、動物の霊魂のほうがよほどましにみえるくらいである。
という根っこの信仰にはシンパシーを感じる。
彼もチンカス、我もチンカス。
今の時代、マトモな神経をしていると、そうよね。

ちなみに、私の誕生日は今月の30日。スウェーデン・ボルグの誕生日は29日。お隣さんである。


※関連過去記事
バルザックの『セラフィタ』を読んでいる(2011年8月25日)
信仰は「試される」らしい (2011年10月27日)
宗教ソムリエ (2013年11月4日)

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