虚しさを眺める

私は、人の名前と顔を覚えないよう努力してきた。
こんな私のような者に覚えられたら嫌だろうからと、人に気を使って、私は人のことを思わないように努力し、あらゆる他人ごとを神様に委ねてきた。今もそうしている。これこそ私の優しさをミニマムに突き詰めたかたちである。

この努力のために私は将来、ボケると思う。そうでなくても、元々、統合失調症は認知症になるリスクが一般と比べて二倍も高い。最終的には「廃人のようになる」と、以前、Wikipediaには書いてあった。
現在、私はこの疾病の人を廃人にしてしまう医療の世話にはなっていないものの、自らの老い先のリスクは存じ上げている。

虚しさ。

それは、淋しさとは違う。
若い時分はとんとお目にかからなかった。老いの兆候だろうか。

夢見る力も、生きる活力も奪う、すべての頑張りがムダに思える、この虚しさに正面から向き合う。

虚しさ、大きな穴。
虚しさ、この暴力。
虚しさによってもたらされる、この退廃。
充実した日々は、虚しさから逃れる口実のためのもの。
心を失くし、忙しくして、幸せを口ずさむ。

私は、この虚しさをネグってきたのだ。
私は、新たな敵の正体を、ためつすがめつ舐めるように、見定めようとしてみる。

虚しさ、捉えがたきこの隣人。

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