漂流している

今私は、大海を小船で漂流しているような心境だ。
向かう先はあるけれど、羅針盤が壊れ、ただ流されるしかない。
しばしば通りかかる別の船に向かって、SOSののろしを上げてみるが、「ハハハ、大変だね」と言われるだけで、私の危機は誰にも気づかれない。

誰も気づきもしないけれど、隠れたところで見ておられる神が報いてくださるはず。そう信じている。
私は、私に与えられた信仰を大切にしたい。尚一層、この信仰を大切に深めたい。
信仰に依ってこの身を支える術を失ったら、何に依るべきか。

いずれにせよ、自分にできることをやるだけだ。誰しも、自分にできることしかできない。背伸びをしようと、挑戦して踏み外そうと、分相応以上も以下もない。
しかし、今はヘタに動くことすらできない。動かないこと。それが私にできること。

でも、次の仕事は、福祉から遠ざかろう。お金が無いからヘルパーを続けていくのが困難。おかしなはなしだ。

「仕事をしているのに食べていけない」という状態の人たちが、何人か餓死しないと、行政も対策に動き出さないんだろう。 いや、少なくとも2025年くらいまでは、国内では人道的な手を打たないで放置するかもしれないな。 これが的中したら、いやだな。的中しそうで、いやだな。私なんて、真っ先に殺されるな。

殺されるのをただ待つよりも先に、私はこの社会を捨てたい。

私のまわりの専門職たちは、介護保険や生活保護や自立支援医療の金は税金だから、消費税をさらに上げる以外に財源はない思っており、それを乱費するのを許さない。そのくせ、税金から社会保障費を削って戦争をすることには反対しない。

反対しない。その性根が許せない。

彼奴ら「戦争に反対する人は頭がおかしい」と思っているようだ。

私は本当に、このような人間が大嫌いだ。こういう連中だらけの中、十年近い年数をだましだまし、よくこの仕事が続いたものだ。私はよく頑張ったよ。

この社会を捨てたい。

昨今の「まちづくり」や「コミュニティーデザイン」、または「ソーシャルワーク」の話の中に、「居場所」が必ずキーワードとして出てくるけれど、考えてみれば「居心地の良い居場所」など、この底意地の悪い日本社会にあり得るはずもなく、せいぜいがそれが居場所として「どれだけマシか」という程度のこと。どこもかしこも針のムシロか、尻の据わりが悪いくらいで、正解なのだろうけれど。

この社会を捨てて、あえて「居心地の良い居場所」を趣向していきたい。

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