自給自足の田舎暮らしを掴み損ねたリアルに打ちのめされて

虚しく途方に暮れる、今日この頃。
私が田舎に受け入れられていないのではなく、私が田舎を受け入れられない。そういうことにして丸く収めよう。
果たしてこの地球に、私の居場所があるのだろうかと思う。

私の心は常に「ここ」にはない。
残念ながら、私は多分、数年内に神戸にかえる。
移住を目論んで、縁もゆかりも無い私がどこに移り住んでも、土地のひとにどこから来たのかを問われ、いぶかしがられ、誰に問われても違和感無く納得してもらえる場所といえば、結局、もう郷里の神戸ぐらいだろう。

何ものかになろうとして、いつも何ものにもなれない。
金も若さも持たないなりに、せめて突き抜けて小器用だったなら、しかし、それも無かった。

都市に住もうが地方に住もうが、日本には田舎しかなく、田舎者しかいない。
日本の都会とは田舎者の集まりであるし、私が今いる場所も、世界のどこかの田舎と変わらない。
ノスタルジックでエキゾチックで、溢れるヒューマニティは暖かく残酷で排他的。
さらに日本であるがゆえに、人と違うことや変わったことをすると叩かれ、そのくせ不寛容である自覚が無い。行けども行けども、日本にいる限り、そんなものである。
僻地の地権者でないために自給自足にも辿り着けず、生きる時間を剥奪するブラック労働に落とし込まれるのである。

移住を成功させるには、縁もゆかりも無いなら、金を持っていること。金が無いなら、若いこと。これである。

さて自給自足など忘れて、将来は神戸に戻って享楽的な余生を過ごそう。それまで、今いるところは遊学で滞在していると思えばいい。
北朝鮮のミサイルが飛んでこようが南海トラフ地震がこようが、正直どうでもいい。
いずれにせよ、ただこの国に生まれ住んでいるだけで、食べたくない毒物を無理矢理口の中にねじ込まれ、私の屍骸は国土を汚す。

まあしかし、単に自給自足を実践するスキルのみならず、自給自足の暮らしを実践に至るまでのハードルは高さを実感することは、私にとって有意義だったに違いない。生きる限り、望むならばたとえ手が届かなくても精一杯手を伸ばしてみて、宿業をひとつひとつ滅ぼしていくべきなのである。

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