「今、日本は戦時中です」


「そんな、アートを見るような目で見ないでください」

これも地方の過疎地のある種の本音だろう。
私が僻地の田舎を眺める眼差しは、明らかにアートを眺めるのと同じものであった。
それは、実際にそこで生活している人を傷つける視線だったのかもしれない。

しかし、アートというフィルターを通してでないと、この世界は何を見聞きしても大方醜悪で耐え難く、一体、何のために生きているのかと問いたくなる。

まだ、アートへの眼差しのために存在に耐え得るものを。
アートを抜いてしまうと耐えがたい醜悪な現実が、人間の日々の生活にはある。

人間の本性は後からやってくる。本当にいい人というのは稀で、最初から失望しておれば、出会う人がどんな人であれ、さほど驚きはしない。
誰しもが、自分から見て自分自身は真っ当で、何某かの情報に偏っており、その情報にそぐわないことをのたまう相手を否定する。

人前で私が沈黙するとき、私は私の異論を反芻している。
あるいは、祈っている。隠れたところにいる神様が私のことをご存知である。
このことが、何よりも心強い私の支えである。

私は何も感じないよう、感性を壊死させて生きるためだけに生きる不幸よりも、アートのフィルターを通して訴求してくる風景に揺さぶられていたい。
それで、アートへの眼差しを捨てないでいる。



今、日本は戦時中らしい。朝、ラジオのコメンテーターがそう言っていた。
私は、平和な時からずっと戦争や紛争のことに思いを馳せていたが、戦争の止め方も犯罪の無くし方も知らないし、北朝鮮のミサイルが飛んでこようが南海トラフ地震がこようが、正直どうでもいい。

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