パラダイスは消えた

人間はどうあれ、僻地の風景は風情と情緒を伴って、佳いものである。





二年前、私は確かにダンナとパラダイスをつくることを目論んでいた。(
ダンナが、私とつくるパラダイスの絵を描いた。
小さな手作りの平屋と小屋と、畑と軽トラがある。
平屋の裏手に二本の柱が立っていて、そこが森の入口で、その先は神々の世界になっている。
これから私は、ダンナとパラダイスをつくることになっている。
パラダイスに必要な用地を求めて、ダンナと共に桃源郷を探しにいかねばならないが、まだ自家用車には手が届かないので、レンタカーでいい。しかしまだ、レンタカーを借りても、お互いの休日はテレコになっているので、自宅警備には都合がいいのだが、こういう時に都合が合わない。…
紛れもないこの世の地獄という現実に、パラダイスは消え去った。
しかしパラダイスの夢は確かに、しばらくの間この虚しい私を支えていた。
このパラダイスはいったいどこからきたのか。五年前に方向を模索していたときだ。(
…それで、最近どうしても頭の中から離れないのは「循環型社会」「自給自足」のビジョンである。次世代のみならず、社会的にも配慮すると、巡りめぐってこのビジョンになってしまうのである。…
同時に「お金のない人で田舎だったら何とかなると思う人」は田舎暮らしには向かない()とも、五年前にブログにも書いて了解していた。
そのくせお金が無いから、結局「イチかバチか」の勝負に出てインケツだったというオチ。

なにはともあれ、幻滅と虚しさと絶望は、この時代の特徴なのだろう。
それゆえ悲劇的に膨張するよりも、アクロバティックにダウンサイズを実践する時代に切り替わったと、私なりに思うのである。

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